【小説感想】知らない誰かに洗脳されないために、僕たちはいまこそ『解体屋外伝』を読むべきだ

 

こんにちは、峰晃です。

 

今日の感想は、ちょっと古いですが自分が何度も読み返している大好きな作品のひとつ。

 

いとうせいこう氏の『解体屋外伝』です。

 

初出は1993年。実に25年の時を経ながら、しかしまったく衰えることはなく、

 

『解体屋外伝』はいまも我々の現実と近未来の曖昧な境界に存在しています。

 

あらすじ

 

此おれは誰なのだ。其をすっかり、おれは忘れた……。

洗脳のプロ・洗濯屋(ウォッシャー)と対決する、洗脳外しのプロである解体屋(デプログラマー)。

知らず知らずのうちに心に潜み込むマインド・コントロールから逃れ、「自己」を取り戻す熾烈な戦いは、もう始まっている。

隣接未来的・痛快頭脳冒険活劇。

          ――文庫版裏表紙より

 

洗脳のプロ、洗濯屋(ウォッシャー)たちに完膚なきまでに脳を壊されてしまった主人公、解体屋。

 

精神病院に収容された解体屋が、自己を取り戻すところから物語は始まります。

 

タイ人の留学生ソラチャイの声で壊された自我を取り戻した解体屋は、師匠である錠前屋(プロテクター)の言葉に従ってウォッシャーたちとの戦いを再開します。

 

解体屋外伝の何がおもしろいって、言葉。すべては言葉。

 

軽妙で知的で、軽薄に見えて頼りになる解体屋は、言葉を武器に戦います。

ジャック・ラカンからかっぱえびせんまで、どんな言葉も暗示になる。

 

人は他人に、自分に暗示をかけて生きている。

 

その暗示をたくみに使って、まるで人を操るように、解体屋は何度も危機をソラチャイとともに潜り抜けていきます。

 

「なんで抵抗するんだ。抵抗しなくていいんだよ。二人っきりなんだから。おいで、おいで、おいで。よーく聞くんだ。私の声をよーく聞くんだ。抵抗しなくていい。そして、目の前にある光を見なさい。機械の小さなランプ……それが私の目だよ。ほら、まず腕の力が抜けてきた。だんだん、だんだん、力が抜けてきた。すうーっと力が抜ける。シャワーの音は単調だ。でも、深い。深い水の音があなたの体を通り抜けていく」

        ――188p 第七章 「遠隔解体(テレ・デプログラム)」より

 

洗濯屋、そしてさらわれた錠前屋を追いかけてたどり着いた場所で、解体屋は世界暗示(オリジナル・ランゲージ)と出会います。出会ってしまいます。

 

誰もが暗示に縛られている、ということを知ること

 

我々は暗示の中で生きています。

 

たとえば、定時で帰ってはいけないという暗示。先輩や上司に逆らってはいけないという暗示。

 

紙きれをお金だと考える暗示。人を殺してはいけないという暗示。

 

わたしは「わたし」という人間であるという暗示。

 

人は様々な暗示を自分にも他人にもかけておくことで、やっと社会的な生活を営むことができるのです。

 

しかしそれは逃れられないものでは決してない。なぜならばそれは自己暗示であるのだから。

 

我々は暗示の外に出ることができる。たったそれだけのことを知るだけで、我々は息苦しさを与えるしがらみから解放されることができるんです。

 

誰かに洗脳されようとしているなら、それを解体せよ。自分で自分を洗脳するな。

 

「暗示の外に出ろ。俺たちには未来がある」

 

作中で繰り返し繰り返し、自分に対しても、誰かに対しても、解体屋は訴えます。

 

「暗示の外に出ろ。俺たちには未来がある」

 

 

まとめ

 

自分が「普通でなくても構わない」という勇気と気づきをくれた1冊です。

 

かといって説教くさいわけではなく、軽快なエンターテイメント小説でもあります。(なんたって痛快頭脳冒険活劇ですからね)

 

古い本ではありますが、おもしろさの一端でも伝われば幸いです。

 

ちなみに、同著者の『ワールズ・エンド・ガーデン』もほんのりつながりがあるようです。(解体屋も出てきます)

 

また、『ウルトラバロック・デプログラマー』という名前でコミカライズもされています。こっちも大好きですが、やっぱり古い。

 

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それではまた!

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