雑記:生き物を飼うということ

昨日、4年間飼っていた桜文鳥が亡くなってしまいました。

明確な原因はわかりませんが、10年と言われる文鳥の寿命の半分にさしかかろうとしていたところでの死は、飼い主の私に何か原因があったとしか思えないです。

夏場で餌や水の管理がよくなかったのかもしれないし、少し前に引っ越した関係で餌を変えたのもよくなかったのかもしれない。引っ越してから忙しくて、ろくに放鳥もさせられてあげていなかったのも原因かもしれない。

何を考えても、あの子が死んでしまったことには変わりなくて、冷たく硬直した身体が再び動くこともないのです。

 

ありがとう、よりも先に申し訳ないが先に立ちます。悪い飼い主でごめんね。

 

ゲージが空になっているのが嫌で、今日、ペットショップに立ち寄って文鳥を見てきました。雛の羽毛から生え変わりかけた桜文鳥が3羽いましたが、どの子もあの子には似ていないし、ここで桜文鳥を買ったとしても、あの子が帰ってくるわけでもないのに。

でも、次に飼うとしたら、やはり文鳥ではあると思います。

桜文鳥は、しばらくいいかな、と思いますが。

 

ペットの訪問火葬のサービスをこれで知りました。

遺灰を引き取れたりするサービスもあったのですが、私は合同のペット霊園に納骨をお任せすることにしました。

死はその生き物にとって完全な終わりで、供養というのは残されたほうの自己満足でしかないというのが私の持論なので。

私の手元に残しておくのは、何にもならない。忘れるためでなく、忘れないためにすべて手放しました。

悲しいですし、生前の姿と倒れているのを見つけた時を何度も反芻するのですが、終わってしまったものが「天国でのびのびできているといいね」と言われるのが実はいちばんきついです……。

言う側は気休めのつもりなのでしょうが、なおのこと私が悪い飼い主だったと突きつけられているようで。

空のゲージに新しい子をお迎えしたい……。

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